東寺の七不思議のひとつ、魔所と呼ばれた「猫の曲がり」

 

 

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七不思議に登場する猫

 

京都、東寺の七不思議は、

不開門、天降石、穴門、宝蔵、蓮華門、瓢箪池、猫の曲がりをいう。

唐突にやってくる猫の名称。

東寺の周囲を巡らす築地塀の南東角辺りは「猫の曲がり」と呼ばれ、

魔物が棲んでいる場所だと考えられていました。

この角の前を通ると不吉なことが起きると言われ、

縁起が悪いということで、今でも京都人の間では婚礼の時、

花嫁を乗せた車はこの角の前を通らないという暗黙の了解があるのだとか。

なぜ花嫁さんだけなのかは不思議ではありますが、

「ここの場所は縁起が悪い」と言われて、

わざわざ立ち入る人はそうはいないでしょう。

 

 なぜ「猫の曲がり」と呼ばれるようになったのか。

江戸時代より以前、猫は貴人や僧侶などしか飼えない高価な動物でした。

 

江戸時代には猫の数が増え、見た目のかわいさもあって、

庶民の間でも飼う人が急増していったのです。

特に、養蚕農家では猫は鼠を獲ってくれる神獣として崇められて

大切にされてきたと言われています。

これは現代にも通ずることではありますが、

猫を飼う人が増えると当然、猫の子も増える。

その結果、猫にも受難が待ち受けていたのです。

これ以上は飼えないから、と捨ててしまう心無い飼い主も増えていったのです。

猫の避妊、去勢手術などない時代ですからね。

捨てる、と言ってもいったいどこへ?

俗に、「犬は人につくが、猫は家につく」と言われています。

猫は捨ててもすぐに家に戻ってくるので、

戻って来られないほどできるだけ遠くに捨てるのがよい、とされ、

京の都の最南端である東寺の角あたりに捨てれば、

さすがに家に戻って来られないだろうということで、「猫捨て場」が生まれました。

その辺りはいつしか、

「猫の辻」または「猫の曲がり」と呼ばれるようになっていったのです。

昭和9年ごろの東寺です。

この左下のあたりを猫の曲がりと呼びました。

東寺公式HPより

 

江戸時代の東寺南角の辺りは、

いつも飢えて痩せた野良猫がうろつき、気味悪い声で鳴くので不気味だ、

と嫌がられたようです。

 

 方位をつかさどる霊獣、西の白虎

また一説では、四神が関係しているとも言われています。

明治元年まで、この場所に留蓋瓦として白虎が置かれていました。

平安京は方角を司る四神である玄武、蒼龍、朱雀、白虎が守護する

「四神相応の地」として造られましたが、

この「猫の曲がり」にはその四神のひとつ、

白虎の像が明治の初めの頃まで置かれていたそうです。

その白虎の像があまりにも弱弱しく、

まるで痩せた白い猫の顔だと揶揄され、

この角を「猫の曲がり角」、

略して「猫の曲がり」と呼ばれるようになったと言われています。

四神とは東西南北の四方の方角を司る霊獣。

本来白虎は西の方角をつかさどっているはず。

なぜ盗難の角地に白虎像が置かれていたのかは謎ですが…。

因みに「猫の曲がり」と呼ばれるようになった説は他にもあって、

この角が日当たりが良いことから、野良猫が好んで住み着き、

たくさんの猫がたむろしていたからという説もあるようです。

大分県保戸島HPより

 

この「野良猫たむろ」説の方が誰も不幸にならず、いいお話のような気がします。

猫は、一方で神様扱いされたかと思うと、

育てられないからと捨てられた上に不気味がられ、

人の身勝手さにふりまわされる歴史をたどって来ました。

猫にしてみれば、いい迷惑だったにちがいないでしょうね。

 

 

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今日のヒメちー

 

まったく人間は…ぶつぶつぶつ…。

猫をいいように使いすぎです。

む。これは…。

わかっていますよ、ヒメに手を出さして、

やーめーてーとか言って写真を捏造するんでしょ。

その手には乗りませんよ。

でも一応匂いだけ…。

ちょっとだけ…。

ちょっとかじるだけ…。

( ゚д゚)ハッ!

まんまとねぇやんの策略に乗せられるところでした。

でも…。

でもやっぱり…。

調子に乗ると化けて出ますよ。

うがー。

おー、怖い。

こうして後世には、「猫は人の邪魔をする」みたいに

云い伝えられていくのかしらね。

やっぱねつ造。

 

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