パンダが発見されたのは19世紀に入ってから。
白い体に黒のポイント。2~3頭身の乳幼児体型で大きい。
また目・鼻・口は顔の下半分に集中している。
ベビースキーマを持ち合わせるパンダは動物園では人気者で、
パンダをモチーフにしたグッズも多数作られています。
日本では1972年に恩賜上野動物園で初めて飼育されました。
パンダの名前で年齢がばれる、と言いますが、わたしにとってはパンダはトントンです。
パンダは中国特有の固定種ですが、
その中国では実はパンダの存在が知られたのは割と最近のことなのです。
人に見つかる機会が極端に少なく、
実在するか不確かな存在だったパンダが発見されたのは、19世紀に入ってからのことでした。
フランスの博物学者であるアルマン・ダヴィドが発見しました。
ただし発見されたのは生きているパンダではなく、パンダの毛皮と骨。
世界的にパンダの存在が知られる前から、パンダは中国の森に生息していました。
発見された最古の化石は800万年前のものとされており、
古くから存在していたことが分かります。
AFPBB Newsより
大昔から変わらぬ生態を保っているため、生きた化石ともいわれています。
パンダと考えられる生き物の最も古い記録は、4000年ほど前の中国の神話に登場します。
また中国古代の地理書『山海経』には、
銅と鉄を食べる白と黒のクマに似た動物の記述もあるそうです。
神獣の一種と考えられていた形跡もあり、
幻の生き物・不思議な生き物と認識されていたのでしょう。
アルマン・ダヴィドによる発見前は、
中国国内でもパンダが実在する動物なのか明確にはなっていませんでした。
パンダが現在のように保護されるようになったのは40年ほど前からで、
それほど昔のことではありません。これには驚かされます。
幻から現実へ、パンダ発見の受難
アルマン・ダヴィドが発見した白黒の毛皮やクマのようでクマとは異なる骨格の生き物。
その珍しさから、世界中からハンターが中国に訪れるようになりました。
1929年に、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの息子兄弟が率いる探検隊が、
欧米人で初めてパンダを射止めました。
この出来事は、アメリカやイギリスでの、パンダ・ハンティング熱を高め、
パンダにとって受難の時代が訪れました。
パンダは比較的狩りやすい動物だったのでしょう。
また、笹を主に食べるパンダは獣特有の臭みがなく、
上質な肉質だったのだとか…。
この頃は、パンダは生きた状態よりは、
死体から取られた毛皮や骨格に価値が見出されていたようです。
1936年、アメリカの探検家ルース・ハークネスが、
パンダを生きたままアメリカに連れて帰ることに成功しました。
このパンダはスーリンと名付けられ、動物園で公開されると、
そのあまりの愛らしさに大人気になりました。
狩猟家たちも罪悪感を抱いたのか、「パンダの狩猟射殺時代」に終止符が打たれました。
こうしてパンダに平穏が訪れたかと思いきや…
スーリンを公開した動物園は3か月間で32万5千人の入場者を集め、
子供向けのぬいぐるみなどのパンダ関連商品も数多く製造されるなど、
大きな経済効果をもたらしました。
大きな市場価値が明らかになった結果、
次はパンダを生け捕りにしたいという時代が訪れました。
しかし、捕えられたパンダの大半は目的地に着く前に死んでしまい、
たとえ中国から持ち出されても、その生涯は短いものでした。
こうして、10年ほどの短い間に多くの幼いパンダが捕獲され、
第二のパンダ苦難の時代が訪れたのです。
パンダって草食獣?
中国ではパンダは「大熊猫(dàxióngmāo; シュンマオ)」と呼ばれ、
中国のソフトパワーの象徴として、相手国との友好を示す外交手段として利用されています。
ジャイアントパンダがタケ・ササを食べるのはよく知られていることなので、
草食動物のようにみられますが、じつは食肉目クマ科に分類される
肉食性の強い雑食動物のなかまです。
腸の長さが体長の約4倍と短いのも肉食動物の特徴といえます。
ウシ・ヒツジなどの草食動物は20~25倍ほどあります。
本来肉食獣であるパンダは、タケ・ササ以外のものも食べることはできます。
野生では、タケの葉だけではなくタケノコや若芽も食べますし、
ときにはは虫類などの小動物を捕まえて食べたという記録もあります。
正確な記録は残っていませんが、その気になればクマと同じように小動物も食べることができます。
なぜ、そのような食生活をしているのでしょうか。
ジャイアントパンダは、天敵や餌の競争を避けて、
中国山岳地帯の奥地を生息の場としました。
そこで冬でも枯れず1年を通し豊富に得ることが出来る食物がタケ・ササだったのです。
パンダの保護とパンダ外交
単独行動を好むパンダは、個体数が少ないにもかかわらず広大な生息地に散らばっており、
自然にパートナーと出会う可能性が低いのが特徴です。
加えて繁殖期が限られており、一度の出産で1~2頭しか生まれません。
過去にはスポーツハンティングの対象とされたことや、
毛皮を目的に乱獲されていたこともあり、
野生では1000頭ほどしか存在しない時期もあったようです。
食料である竹の枯死も、パンダの大量死につながりました。
森林伐採により生息できる地域が減ったという状況もあり、
そのままでは絶滅間近といっても過言ではない状況でした。
竹林伐採や農地開発による生息地の破壊、毛皮目的の密猟、
ジャコウジカ猟用などの罠による混獲などにより生息数が減少し
一時期は絶滅するか、と思われたパンダ。
中国ではパンダは商売になる、と知り、パンダの保護に乗り出します。
中国四川省にジャイアントパンダ保護区群に、
中国パンダ保護研究センターを設立。
保護区には中国全体の三割のパンダが住んでいると言われています。
保護区ではパンダの人工授精や生育にもかかわって個体を増やしています。
ところが、パンダの多くは保護区外にすんでいるため
問題の解決にはならず、生息地破壊も続いています。
このことは、中国の急速な経済発展とも決して無関係ではありません。
愛らしい見た目、穏やかな行動。そのためパンダは受難の時代を過ごしてきました。
中国政府は、パンダを相手国に送ることで友好を示す外交手段として利用しています。
ワシントン条約により国際取引が規制されているため、
原則として保護研究を目的とした有償での貸与となっています。
相手国が中国に支払う金額は、2頭で年100万ドルが相場です。
所有権は常に中国にあり、国外に貸与されたパンダが産んだ子どもの所有権も中国に帰属します。
ジャイアントパンダの「リーリー」と「シンシン」が、
2024年9月に13年余りを過ごした東京・上野動物園を離れ、
中国に返還されたことは記憶に新しいと思います。
それまで中国国内ではあまり人気者とは言えなかったパンダが、
逆輸入のような状態で返還されたことから、人気が高まっているとのことです。
また、和歌山県白浜町のレジャー施設「アドベンチャーワールド」から
中国に返還した雄のジャイアントパンダ「永明(えいめい)」が
1月25日に死んだと発表されました。
永明はアドベンチャーワールドに貸与され、
16頭の子どもをつくったお父さんパンダ。
ビッグダディです。
野生下での自然繁殖が難しいのであれば、
先進国で繁殖にチャレンジしても良いものかと思いますが…。
保護と自然。これは両立できないことなのでしょうね。
今日のヒメちー
人は動物の保護もしますが、
数多くの動物たちを絶滅させもしました。
エゾオオカミ、ニホンオオカミ、ドードー、フクロオオカミ、
シマワラビー、リョコウバト、ピンタゾウガメ、 オガサワラガビチョウ。
多くの生き物がこの地球から姿を消しました。
夕日がまぶしいのではありません。
世を愁いでいるのです。
人間は時に、自分たちが一番偉いかのようなふるまいをします。
いつか大きなしっぺ返しが来ないといいですが。
ヒメちーの言うとおりね。
肉をとるためであったり、毛皮をとるためであったり、
あるいはかわいいから鑑賞用にしたい、tか。
人は自分勝手な理由で、動物を絶滅させてきたわ。
数が少なくなってからようやっと保護に乗り出しても…遅い気がする。
コメント
世を愁いでいるひめちーの目が美しい…
人間は美しい動物たちを絶滅に追い込んできたよね…。今も戦争や紛争で自然破壊してるしね…。失くしてわかる大切なもの。もう戻ってこないのに!