最強の盾と矛・矛盾。
矛盾
「物事の筋道や道理が合わないこと、つじつまが合わないこと、一貫性が無いこと」
『韓非子』難一篇に出てくる故事。『韓非子』(かんぴし)は、
中国戦国時代の法家である韓非の著書。
内容は春秋戦国時代の思想・社会の集大成と分析とも言えるものである。
「どんな盾も突き通す矛」と
「どんな矛も防ぐ盾」を売っていた楚の男が、
客から「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問われ、
返答できなかったという話から。
もし矛が盾を突き通すならば、「どんな矛も防ぐ盾」は誤り。
もし突き通せなければ「どんな盾も突き通す矛」は誤り。
したがって、どちらを肯定しても男の説明は辻褄が合わない。
これを盾と矛を合わせて、矛盾と言う。
わたしたち猫飼いにとっては、
古代ペルシア軍がエジプト侵攻の時に使った盾が最強。
誰も矢を放つことはできない。
世界最大の矛盾はペットではないだろうか。
わたしたち人の皮膚を簡単に切り裂く爪を持ち、
骨まで砕くことのできる強靭な歯を持つ生き物。
本来恐れるべき対象なのだろうけれど、
それでも一緒に暮らすことが出来る。
こんなに可愛い、虫も殺しませんよー、みたいな顔して。
愛玩動物と言うのは最大の矛盾なのかもしれない。
矛盾のない世の中はない。
わたしたちは、常に矛盾と共に生きている。
動物愛護を唱えながら、肉食をする。
環境保護を訴えながら、エアコンをつける。
自然保護を訴えながら、自然を破壊し出来上がった住宅に住む。
これらの矛盾を、一つもすることなく生きている人間はいるのだろうか。
中には、「自然保護とかくそくらえだぜー。
バンバン火をたいてバンバン木を切り倒して、
思いっきり肉や魚を食らって生きてやる」と言うつわものもいるかもしれないけれど。
動物と一緒に暮らしていても、動物の肉は食べる。
鳥だってそうだろう。
ただ一つだけ言えるのは、
わたしは、今日何かを口にしなければ
死を迎えるよりほかないほどに食料が尽きた世界で、
ヒメちーと二人きりになっても、ヒメちーの事は食べない。
ヒメちーとともに、この世を去る選択をする。
動物愛護と肉食
食べるために飼育されてる動物の肉は食べてよくて、
そうではない生き物の肉はいけない、と言う事を矛盾だととらえる人がいる。
これは永遠に解決できない問題だろう。
異を唱える人が完全草食主義だったとしても
近年の研究では、草植物にも感情があることがわかっている。(米科学者CleveBackster)
水道水にも植物性プランクトンが含まれる。
水すら飲まず、生きて行くのならばどうぞ異を唱えてください。
捕鯨反対団体の肉食問題をやり玉にあげる人もいるけれど、
確かにあの人たちはアナーキーだけれど、
わたしたちが口にする、肉や魚に、クジラと豚の区別はない。
「人間>イルカ・クジラ>>>>牛・豚」だなんて思わないし、
「カミサマに特別に選ばれた存在=人間」だとも思わない。
食べるためではなくただいたずらにクジラを捕り、
殺すのであればそれは許されない事だけれど、
食べるために捕ることのなにが悪いのかがわからない。
これは自然の摂理。
ただ、人は道具を使って卑怯な狩りの方法をとるのも事実だけれど。
けれど、それは人の進化。道具を使う、使わないで、
狩りの正当性が計れるわけでもない。
この問題は、どこで線を引くか。
線引きは人それぞれ。
捕鯨反対団体の人の言う、
「クジラには知恵があり、かわいそうだから」と言うのでは説明がつかない。
海洋資源と言うのならば理解はできるけれど。
犬や猫にだって、知恵はあるし、クマなどは、人の子供をはるかに超えた知恵がある。
この矛盾が受け入れられないのであれば、
ただただ、なんにでも噛みついて自分の思考を正当化したいだけとしか思えない。
思想の押し付けは要りません。
話のすり替えだと言うかもしれないけれど、
繁殖動物は許されない事だと書いた、
わたしへの意見が行き過ぎた捕鯨団体の思想だとおっしゃるあなたの方が、
よほど話を大きくすり替えている。
コメント欄に書いて足りず、
ご自分のブログにも書き、
ご自分の思想の正当性を訴えたいのならばどうぞご自由に。
ただし、あなたが、矛盾と言うものを一切断ち切った生活をなさってるのであれば。
今日のヒメちー
今日のねぇやんは頭が沸いてるので、
ごゆるりヒメちーでクールダウンしてください。
イライラは良くないですよ。
ヒメと一緒に、まったり癒されませんか?
こういう事をブログに書くのはよくないことだとわかってる。
怒りにのぼせ上がった頭を冷やそうと、頑張ってもみた。
それでも、消化できない。
明日にはいつものねぇやんに戻りますし、ブログもゆったりと通常運行です。
また明日も、見に来てやってくださいね。
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