災害時に非常食を持たない人に、分け与えるべきかどうか
災害時に持ち出した避難用リュック。
その中にはお水、簡単な食糧、スマホの充電器が入っています。
避難は思ったよりも時間が長くかかり、
のども乾き、お腹もすいて、さらにスマホの充電も怪しくなることでしょう。
リュックからお水を取り出す。非常食のビスケットを取り出す。
いざ、食べようとしたとき、近くで声がします。
声の主は子供。
「いいなあ、僕もお腹すいちゃったよ。お菓子食べたい。」
この時に、自分の非常食を分けてあげるべきか。
欲しがった子供が一人ならば分けてあげられるでしょう。
子どもが10人いたら?周りの大人も欲しがったら?
ひと缶のビスケットなど、あっという間になくなります。
避難が一晩だけ、と言うのであれば分け与え、自分が我慢することもできるでしょう。
では長期化して、先が見えないときは?
それでも分け合うべきなのでしょうか。
避難袋に入れる最低限のもの。人に分けられるほどはない。
我が家では災害に備えて避難用リュックを作っています。
人が一日に必要な水の量は体重1kgにつき約35ml、
つまり、体重が50kgの人は1.7L、60kgの人は2.1L、70kgの人は2.4Lが必要です。
猫が体重1kgあたり1日に55ml、犬の体重1kgあたり40~60mlと言われているので
犬や猫に比べると飲まないほうであるとは言えますが、
避難袋に入れる水の量は1人1日3Lが推奨されています。
3リットルのお水となると、お水だけで約3キロ。
これを家族の人数分、プラスヒメちーの分となると、
一度では持ち運びができない重さになってしまいます。
なのでお水は分散させ、避難リュックは4つ作っています。
とは言え、すべて持ち出せるかどうかわからないため、
一番必要なもの、二番目に必要なもの、余裕があったら持ち出すもの、と優先順位を決めています。
一番初めに持ち出すリュックの中身は
パンの缶詰4個、ビスコ長期保存缶2個、お水500ml×4本、
ヒメちーのフード、ペットシーツ、リード、ひざ掛け程度の毛布、
電池式の充電器とそれと忘れてはいけない常備薬。
二番目に必要なものの中は食料品が中心。
三番目に必要なものの中にはこれにエアーマットや空気入れが追加されて、
必須なものからあると便利なものにシフトしていっています。
本当はね、火事場の馬鹿力で、避難用リュックもすべて持ち出せればいいのだけど。
優先順位はヒメちー、一番目のリュック。
これで十分かと言うと足りないことは分かってる。
中越沖地震で被災した経験のある我が家は、
とりあえず一晩過ごせればいい、と言う考え方で避難計画を立てています。
話は変わって、東日本大震災の時。
わたしはこの時高校生で、午後2時46分。学校にいました。
震源地からは遠く離れてはいるものの、
長周期地震動のため激しく揺れ、公共交通はすべてストップしました。
幸いと言うか、高校自体が自治体の避難場所に指定されていたため、
備品のストックがあり、
ひとり乾パンひと缶と、水500ml、毛布が配られました。
安全点検のため、電車は終日運休。
翌朝まで学校で過ごすか、保護者が迎えに来た場合は帰ってよいということになりました。
当時スマホが普及しだし、けれど今よりもバッテリーのもちは悪く、
毎日充電しなければならないものでした。
日中使いすぎちゃうとあっという間に電池残量はゼロに。
わたしは携帯用充電器も持ち歩いていました。
多分フル充電で、スマホへの充電2回分くらいだったと思います。
地震の状況を確認するために、一向に送信できないメールを送るために、
一向につながらない安否の確認の電話を掛けるために、
充電はあっという間になくなる。
でも大丈夫。わたしには充電器がある。
昨日ちゃんとフル充電させていた過去のわたしに感謝。
さあ、充電させよう。これで安心。
そこで聞こえてきた声。
「あ、いいな、わたしのも充電させてよ」
二回分充電できる、と言うことは自分のを充電した後、
もう一台は充電できる。
「あ、ずるい、わたしのも」。
「自分だけ充電する気かよ」。
「なんであの子には充電させて私のはさせてくんないわけ」。
いろんな言葉が聞こえてきました。
ずるいってなに?わたしはわたしの充電器で充電しただけなのに。
今だったら、トイレに行くふりしてそっと充電し、
充電器を持ってることは言わないでしょうけれど、
当時はそんな考えは思いつきませんでした。
自助努力と助け合い。その線引きはどこに
前置きが長くなってしまいましたが、
こういった緊急時。
自分の飲み物、食べるものがなくなっても人に分けてあげるべきか。
自分の充電ができなくても、ひとに充電させてあげるべきか。
自分の食料を持ってるだけなのに「独り占めしてる」と言われる重圧に耐えられるか。
こういう時に二つの考え方があります。
準備不足の人にために、自分のものを分けてやる必要はない。
自分だって困ったときに、ひとの親切を受けるのだから、分け合うべきだ。
人だから少しは我慢も効く。
じゃあ、これがペットフードだったら?
フードも持たずに避難してきた人に、分けてあげるべきかどうか。
どうするべきなんだろう、どうしたらいいのだろう。
分けてなおたくさん残るほどに持ち出せればいいけれど、それは無理。
持てる荷物の量には限界がある。
「助け合い」と言うけれど、
助けてあげた人が助けてくれる保証ってあるの?
自分の身に置き換えてみれば、何も持たずに避難をして、
避難所で偶然隣り合わせた人がお水をくださる。
こんなにうれしいことはない。
なのに、ひとには分けてあげたくないと考えるなんて鬼か、とも思う。
一番いいのは、みんなが自分の口を、
とりあえず潤すだけの避難物資を用意することなのだけれど、
準備していても持ち出せない場合ってある。
災害時には「自助、共助、公助」と言う言葉がある。
まず自分、次に周りの人。最後に国や自治体。
災害に備えて自分でできる ことを考え、対策しておく ことを「自助」といい、
災害対策の基本となります。
まずは、自分や家族の命を守ることが大切です、とある。
できなかった人と、自ら望んでしなかった人との線引きは?
うちのおばあちゃんはそういう理由で避難袋を用意しない人。
「そういう時、自分だけ飲み食いなんてできないから誰かが分けてくれる」。
避難所ではご一緒したくないタイプ。
なにが正解なのだろうね。
津波てんでんこの考え方
東日本大震災で注目された言葉「津波てんでんこ」。
「津波てんでんこ」とは、
「津波が来たら、いち早く各自てんでんばらばらに高台に逃げろ」(岩手県HPより)
という津波襲来時の避難に関する三陸地方の言い伝え。
「津波てんでんこ」を防災教訓として解釈すると、
それぞれ「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、
各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」
「自分の命は自分で守れ」になる。
なお、「自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない」
という不文律でもあると言う。
少し冷たいように感じる感しれないけれど、
標語の意図は「他人を置き去りにしてでも逃げよう」ということではなく、
あらかじめ互いの行動をきちんと話し合っておくことで、
離れ離れになった家族を探したり、
とっさの判断に迷ったりして逃げ遅れるのを防ぐのが第一であると言う事。
これを「利己的な行動だ」と非難する人もいるらしい。
正解はどこにあるのでしょうか。
今日のヒメちー
避難ですか、避難ですね、避難します。
大変です。慌てず急いで。
しゅぽっ。
ふう。間に合いました。
ささ、どうぞこのまま運んでください。
避難と言っても色々ある。
台風での増水とか比較的余裕のあるもの。
地震や津波、家事などの余裕のないもの。
とりあえずペットを抱えて、キャリーを持ち出すこともできない避難もあるだろう。
ヒメはそういう時、箱を分けてあげることはできません。
そうよね、分けられるものと分けられないものがある。
充電なんてどやって返してもらうの?
こういう話にきっと正解はないのだと思います。
その時、最善の方法をとるのがよいかと…。
おりしも昨日は防災の日。
ねぇやんち地方では大雨のため、避難訓練は中止された。
どうしたらいいのか全く分からないままだけれど、
自分の身は自分で守る。
やはりこれが最優先な気がする。
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