【知らないほうがよかった真実】忠犬ハチ公はなぜ渋谷駅で待ち続けたのか。

 

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忠犬ハチ公の感動話は実はこうだった。

 

渋谷駅に隣接するハチ公前広場にある「忠犬ハチ公像」。

待ち合わせにも多く利用され、

東京を訪れた観光客が記念撮影をするなど、渋谷のシンボルになっています。

そのモデルとなっているのは、誰もが知る秋田犬の「ハチ公」です。

忠犬ハチ公は東京帝国大学(現在の東京大学)の教授だった上野英三郎博士の愛犬「ハチ」です。

今年4月8日、90回目の慰霊祭が行われました。

ハチ公がなぜ「忠犬」と呼ばれるようになったのかと言うと、

飼い主だった博士の死後も渋谷駅に毎日通い続け、

帰りを待ち続けたということからで、その忠実な姿は人々を感動させました。

ところがこのハチ、渋谷駅に通い続けたのは

博士を待っていたからではなく、

酔った常連客から「焼き鳥をもらえる」からだったという

知らないほうがよかった真実があると言われています。

 

 

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ハチはどういう経緯で博士のもとへ来たのか。

 

ハチは純粋な秋田犬で、1923年に秋田県大館市で生まれ、

生後50日目に上野博士のもとに贈られました。

年が変わった1924年1月。

生後2か月ほどの秋田犬は、ふるさとを離れて

東京・渋谷で暮らしていた上野博士に贈られました。

すでにポインター犬2頭を飼っていて、大の犬好きだった上野博士は、

「秋田犬の子犬が欲しい」と希望したということです。

この秋田犬を「ハチ」と名付け、妻の八重子さんとともに大切に育てます。

そんな「ハチ」の日課は、当時、東京・駒場にあった上野博士の勤務先、

東京帝国大学農学部や、出張の際に利用していた最寄りの渋谷駅への送り迎えでした。

時には、渋谷駅に帰ってきた上野博士とその教え子とともに焼き鳥屋に連れて行ってもらい、

ご褒美として焼き鳥のおすそ分けをもらっていたということです。

このように細やかな愛情を紡いでいた博士とハチですが、

上野氏は講義中に突然、脳溢血で倒れ、53歳という若さで亡くなってしまいます。

今までも博士が帰ってこなかったこともあるが、数日後には帰ってくる。

今度も主人が出張からそのうち帰ってくると思い、

ハチは来る日も来る日も渋谷駅で待ち続け、

それは今でも語り継がれるエピソード、というのは皆さん、ご存知のとおりです。

博士の家は借家だったため、上野邸を去ることとなった妻の八重子さんは、

知人宅に居候する形で新たな生活をスタートさせ、

「ハチ」とポインター犬を別々の親戚宅に預けます。

「ハチ」の新たな生活はこれまでとはほど遠いものだったと言われています。

博士と生活を共にする中で、ハチは、数日間主人の姿が見えないと

「渋谷駅に行けば、帰ってくる主人に会える」と学習したのでしょう。

博士が亡くなったことを知らないハチは渋谷に通って

そのうち帰ってくるであろう主人を待つようになったのです。

ハチは、上野氏に対する愛情が深いだけでなく、賢い犬だったのですね。

 

渋谷駅で待ち続けた「ハチ」ですが、野良犬と勘違いされて追い払われたり、

捕まったりする日々が続きます。

時には、野良犬にかまれて耳にけがをすることもありました。

そんな状況を変えたのが1932年10月。

「いとしや老犬物語」と題した記事が新聞に掲載されたことでした。

これをきっかけに「ハチ」は“時の犬”となります。

当初は、何の事情も知らない人から「汚い犬だ」と

追い払われることもしばしばだったそうで、

それでもハチが通い続けたので、そのうちに、

「主人を待ち続ける犬・忠犬ハチ公」としての評判が広まっていったのです。

それから3年後の1935年3月8日。

現在の渋谷警察署の近くで冷たくなっている「ハチ」が発見されたのです。

上野博士が亡くなって10年がたっていました。

このハチの行動は多くの人の共感をよびましたが、

その一方で、ハチは主人恋しさで渋谷駅に通い続けたのではない。

ある日、誰かからたまたまもらった焼き鳥に味をしめて、

焼き鳥欲しさで通い続けたのだという、ちょっと興ざめな話もあるのです。実際に、

ハチの死後、東大で解剖をすると胃の中から焼き鳥が串のまま入っていた、

という記録もあるので、ハチが焼き鳥を好んで食べていたというのは事実でしょう。

 

 

ハチの最期

 

1935年(昭和10年)3月8日午前6時頃、

約10年にもおよぶ駅で待つ日々は終わりを告げた。

ハチ公は、渋谷川にかかる稲荷橋(現在の渋谷警察署向かい側付近)の近くで

冷たくなっている所を発見されました。

享年11歳(数えで13歳)、11年3ヶ月26日でその生涯を閉じました。

この付近にはハチは行くことはなかったといいますが、

なぜ普段は足を運ばなかった場所にハチがいたのか。

それは生前お世話になった人々に

最後の挨拶をして回っていたからだという説があります。

ハチの死から13時間後、遺体は東京帝国大学にて病理解剖されました。

その際、心臓や肝臓には大量のフィラリアが寄生しており、

腹水が溜まっていたことが確認されました。

さらに胃の中からは焼き鳥の串と思われるものが3~4本残っており、

それが消化器官を傷つけたのではないかとも考えられ、

そのため、死因はフィラリアまたは消化器官損傷によるものと考えられてきました。

ハチの内臓はホルマリンに漬けられ大学で保存されていました。

ハチの死後から76年後の2011年(平成23年)、

東京大学によりMRIや高度顕微鏡などで再度検査したところ、

ハチの心臓と肺に大きな癌があることが発見されました。

フィラリアは中程度であったため、現在では、

直接の死因はおそらく癌によるものではないかと考えられています。

ハチがなぜ博士の死後10年も、渋谷駅に通い続けたのか。

ハチに聞くわけにもいかないので、真偽のほどは分かりませんが、

ハチは何の見返りも期待せず、心底、愛する主人にいつ会えるか、

今日は会えるかと願って、渋谷駅に通い続けたにちがいない。

上野氏とハチの銅像を見ると、そう思えてなりません。

 

 

今日のヒメちー

 

ひとも犬も猫も、生きるためには食べなくてはなりません。

きっとハチも必死だったのでしょう、生きるために。

意地悪をされたり時にはもてはやされたり。

ひとが勝手に作り上げた美談に

真実はこうだったからがっかりしたなど、言語道断。

ハチは、待っていたのです。

主人を。

撫でてもらうことを、

いい子だねーと言ってもらえることを。

お腹いっぱい食べることを。

ハチに真実を聞くわけには行かないから、

結局のところ、どうだったのかはわからずじまい、想像でしかないけれど、

ひとだって、こんなに誰かの事を待っているのは無理。

ひとに比べて犬の一生は短い。

ハチにとっての10年はひとに換算したら60年くらいになる。

ハチの一生は幸せなものであったか。それを考えてしまう。

 



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