和菓子のハイブリッド進化、いちご大福はどのように生まれたのか。

 

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大福は室町時代生まれ?進化が止まらない和菓子。

 

日本人は、食べ物に限らず様々なものを

独自の進化をさせるのが得意と言われています。

あんこ×バターの真逆な味を

一つに調和させたあんバターもその一つ。

 

日本の伝統的な和菓子でもその進化が止まりません。

 

 「大福」の始祖は室町生まれ

大福とは、小豆でできた餡を餅で包んだ和菓子の一種です。

室町後期から鶉(うずら)餅という菓子があり、

これを焼いたり、焼印を押したりしたものを鶉焼と呼びました。

うずらの卵のような見た目だったことから、そう名付けられたようです。

当時の庶民の間では、砂糖は大変貴重なもの。

鶉餅は塩味のあんをたっぷり入れ、

丸くふくらんだ形にしていたようです。

その鶉餅に、砂糖をまぶし甘い味のお菓子に仕上げたのが江戸時代。

わたしたちの知る大福は江戸のころから親しまれてきたのです。

 

 

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大福×フルーツのハイブリッド型進化

 

和菓子と言えばあんこ。

洋菓子と言えばバターやクリーム。

あんこにバターを合わせた『あんバター』以外にも

「わ」のあんこと「洋」の食材を合わせたものが多くあります。

今やあんこ×餅だけではなく、

フルーツやクリームを入れたものが人気となっています。

「覚王山フルーツ大福 弁才天」のフルーツ大福

 

その中でも圧倒的人気のいちご大福。

甘い大福の中にさわやかな酸味のいちご。

ベストマッチです。

このいちご大福はいつ頃生まれたのでしょうか。

歴史のある和菓子の中で、いちご大福は比較的新しいものになります。

登場したのは昭和後期の1980年代。

和菓子界には珍しい、甘酸っぱさが際立った味わいが、

またたく間に人々を魅了しました。

どのお店がいちご大福の発祥となったのかについては諸説ありますが、

昭和の後半に、複数の和菓子店から登場しています。

実はわたしの家の近所にも、

『いちご大福発祥の店』と言うのぼりがかかった和菓子屋さんがあります。

いちご大福を売り始めたお店については、

東京新宿の「大角玉屋」、群馬前橋の「金内屋」、

三重県津市の「とらや本家」、この他にも複数店舗あり、地域もさまざまです。

大阪市旭区にある御菓子司『松福堂正一』では、

昭和50年代終わりにはすでに販売していたと言います。

『松福堂正一』はもともと果物屋だったそうで、

昭和40年代から“いちご餅”を販売していました。

その名の通り、いちごと餅を合わせた和菓子です。

ところが、お客さんに『あんこも入れたらどうや?』と言われて、

昭和50年代後半からあんこを入れるようになったと言われています。

「大角玉屋」によれば、いちご大福が誕生したのは昭和60年(1985年)のことだそう。

誕生のきっかけはバブルといわれた昭和60年正月、

大角玉屋3代目社長大角和平が

新聞に掲載されていた電通の「今年の流行」のようなコラムで

「洋菓子・ケーキの時代がそろそろ終わり

何かのきっかけがあれば和菓子の時代が来るだろう」

という記事を読んだことでした。

日本では、1970年代後半から健康ブームが起こり、

1980年代は健康に関する書籍も多数出版されました。

そのような中、劣勢となったお菓子業界の状況を打開すべく、

ヘルシーなイメージのあるフレッシュフルーツを

和菓子にも取り入れたと言う事のようです。

 

普段当たり前のように口にするハイブリット商品。

これも「考えた人、天才だわ」の称号を贈りたいです。


 

 

今日のヒメちー

 

あら、見事な大福がここに。

黒いからきっといちごをあんこで包んだところで放置してあるのねー。

ん?なんですか?

あ、いえ、何でもないのよー。

ねえヒメちー、そこにままちゃんのトレーナー、置いてあるじゃない。

ちょっと被ってみない?

ねぇやんの方から進めて来るなんて珍しいですね。

嫌な予感しかしませんが、

据え膳食わぬは武士の恥。

ちょっと意味が違うような気もしますが受けて立ちましょう。

ねぇやんのかけ方は雑ですね。

ヒメが見本を見せてあげましょう。

これはですね、こう…。

すっぽり入るのがいいのですよ。

ここまで来たら皆さん、わたしが何をしたいのかお判りでしょう。

おもち(トレーナー)で包んだヒメちー大福よー。

お見事。

あー。毎日楽しい。

 

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