人はなぜこうも電車内での立ち振る舞いが気になるのか。
座席で足を広げる、携帯電話で通話する、
優先席を譲らない、満員電車でリュックを前に抱えない…など、
その「ふるまい」が人の目につきやすく、
ときにウェブ上で論争化することも多い、電車でのマナー違反。
そもそもマナーとは何か。
Wikipediaによると、
マナーとは、人と人との関わりで当然その場面でしかるべきとされる行儀・作法のことを指す。
これは自分一人のとき、他に見ている人が誰も居ない場合でも
それを守ることが望ましい価値観である。
とあります。
また、マナーは”社会生活を円滑に行うためのもの”です。
そしてお互いが心地よく過ごすための思いやりの気持ちと態度・行動と言えます。
美徳→「道徳や信念による正しさにもとづいて起こす行動」
作法→「信仰による正しさにもとづいて起こす行動」
マナー、作法、美徳。
これらは多くの共通点を持ちます。
たとえば、
「他者への気遣い」
「礼儀正しくする」
「威儀を正す」
などがそうでしょう。
日本人は外国の方に比べて、マナーを強く意識する国民性を持っているのかもしれません。
ところがここ数年、マナーとは、「決まり「規約」「法律」ではないので、
守らなくてもいい、と言う人が増えたように感じます。
電車内でのマナーが気になるのは逃げられないという気持ちから
マナーと言うと、なぜか電車での振る舞いに目をやりがちです。
これはわたしが通勤に電車を使うせいかもしれませんが。
多くの電車は7人掛けであるにもかかわらず、席を詰めない、
周囲の邪魔になるスポーツバッグの持ち方・置き方をする、
ドア付近の手すりへのもたれかかり、通行を妨げる、
高齢者に席をゆずらない若者たち、
奇声のようなアホな話し方をし、ドアのところにかたまって車外にでない学生集団。
騒ぐ子供を注意しない親。
人は、なぜこんなにも電車内でのふるまいが気になり、
イライラしたり、イライラされたりしてしまうのか?
道路を通行中であれば、長くひとりの人を注視することはなく、
電車内であれば少なくとも次の駅まで、
密室の中、ずっとそれを見続けなければならないからだと思います。
電車内でのマナーの悪さは30年以上前から指摘されていた。
お年寄りは「最近の若い者は」と言い、
若い人は「元気な老人が」と言う。
電車内のマナーは最近悪くなったのでしょうか。
電車内でのマナーの悪さは、1990年にはすでに言われており、
その名も『若いやつは失礼』(小林道雄、岩波ジュニア新書、1988年)という本まで出版されていました。
昭和一桁世代による同書は、電車のシートに体をだらりと沈め、
足を伸ばしている若者の話からはじまる。
そこから、若者たちを次々に批判していく。
著者は、こうした若者たちは、失礼で、みっともなく、
カッコ悪く、美しくないし、ムカつく、という。
道徳的礼節としての「非礼」、エチケット的美学としての「醜悪」、
マナー的感覚としての「不快」といった批判が展開されている。
その後、批判はさらにその他の場所のふるまいにも広がっていき、
おじさん・おばさん、高齢者たちにも向けられる。
説教することには自分もためらいはあるといいながら、
批判の対象に自分は含まれていない。
このようにやたらと大仰で、攻撃的な語り口であるこの著者は、
果たしてマナーの良い人なのかどうかわかりませんが、
結局、問題の改善は、個人主義の徹底という「個人」の問題に還元されているということになります。
高齢者vs若者、女性vs男性の図式はどうして生まれる?
1987年1月22日東京版の朝日新聞には、
「近ごろの乗客のマナーはひどい。とくに若者が腹立たしい」という投稿があり、
一人の老読者は、日本は豊かになったが礼節が足りなくなっていると強気だったという。
しかし、その1か月後、2月19日の「女から男へ」という記事では、
「車内マナー」というリードがつけられて、
「例外なく目につくのが中年およびそれ以上の年齢のオジサンたちのマナーの悪さだ」とされている。
そして、足を投げ出す、居眠りをして寄りかかる、
大きな口をあけていびきをかく、鼻をほじる、その指をシートでふく、
頭をかいてふけを落とす、クシャミをかけるなどの放埓ぶりを報告している。
さらに、空っぽの胃袋の口臭や酒臭い息が充満する満員電車は、
避けようとしても逃げ場がないとも訴えている。
フリーライターの女性だという投稿者は、
スーツを着用したサラリーマンは「服装だけは『よそゆき』だが、
そのマナーに関しては、テレビの前にごろ寝の自宅感覚なのだ」と手厳しい。
このようにマナー論争は、年長者と年少者、
男性と女性の対立が複雑にからみあいながら進み、
問題点も多岐にわたっていく。
その論点をざっくりとまとめるならば、
年長男性は年少女性のはしたなさ、厚かましさ、図々しさを問題にし、
年少女性は、年長男性のだらしなさ、不潔さ、臭いをマナー違反として指摘する傾向がある。
面白いのは、前者にとってのマナー違反は
「礼節上の無礼さ」に重点が置かれているが、
後者にとっては「感覚的な不快さ」をもたらすことが問題になっていること。
ここが男女の違いなのでしょうか。
わたし的には、老若男女関係なく、
マナー、礼儀のなっていない人はいるという意識でした。
他者を攻撃するとき、人は自分と真逆の属性に対し、
強気な態度に出るということがわかりました。
老人は若者に、若者は老人に。
男性は女性に、女性は男性に。
これもジェンダーのなせる業なのでしょうか。
女は女らしくつつましやかにせよ。
男は男らしく、どこまでも紳士であれ。
電車のマナーからは大きく話がそれてしまいましたが、
根本には、自分と同じ性、年代の人の行動は許容しやすく、
そうでないものは攻撃の対象となる。
そんな心理の背景があるということのような気がします。
余談ですが、わたしが満員電車で一番許せない振る舞いは…。
「ニンニク臭い呼気」です。
「ニンニクを食べた人専用車両」があってもいいと思うくらいです。
こういう人に限って口呼吸。または始終深いため息をつきます。
中には営業先に行かれると思しき人まで、ニンニクの匂いをプンプンとさせている。
ご自分の匂いについて注意を払わないのは老若男女問わずにいるようです。
匂いを気にするあまり過度のフレグランスに頼るのも、受け取り側としてはつらいです。
「ニンニクを食べた人専用車両」、「においを気にしない人専用車両」があったら
満員電車ももっと快適なのに。
今日のヒメちー
ヒメは電車に乗ったことはありませんが、
満員電車って、こんな感じですかねー。
こう、みちみちと。
そんなスタイルで乗ることなんてできないくらいぎゅうぎゅうよ。
そうねえ、人に触れずに乗るなんて不可能、っていうくらいかしら。
それは嫌ですねえ…。
今、このかごの中にねぇやんが入ってきたら…と想像するほどに恐ろしい光景です。
自分の身は自分で守らねば。
あれですかね、皆さん、満員電車でイライラするのは防衛本能ですかね。
いやな人から身を守りたい、と言う。
攻撃は最大の防御、とも言いますし。
あー、なるほど、きっとそうね。
ねぇやんもヒメちーほど鉄壁の防御が欲しいわ。
そう言えば…百合子の「満員電車解消」の公約ってどうなったのかしら。
すべてはね、身動きとれない程の満員電車が悪いと思うのよ。
逃げるが勝ち、ともいうけれど、
いやな人が来ても逃げることすらできないんだもの。
満員電車がなくなったら、きっと世の中平和になるかもねー。
コメント
これは比較的礼節を重視する日本で暮らす永遠のテーマですよね(;^_^A
そして、一方人は自身の価値観を優先して物事を判断しがちな生き物・・・
どの世代も共通の倫理性が問われるところですよね(*´ω`)
匂いを気にしない人用車両はなかなか斬新( *´艸`)