鍋島の化け猫 | ヒメとまいにち

鍋島の化け猫

 

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鍋島の化け猫騒動

日本の猫の歴史を追って来てみましたが、

そな中でも外せない「化け猫」。

猫は7代祟るとか、猫は嫉妬深いとか、

猫は恨みを忘れない、とか、

特にあんち猫ファンの方には

この化け猫のイメージを持つ方もいらっしゃるのかもしれません。

化け猫、あるいはねこ妖怪と呼ばれた猫たちの誤解は、

前回に記事で解かれたと思うのですが…。

 

江戸時代には、世を騒がすほどの化け猫騒動があったのです。

 

「鍋島の化け猫騒動」

肥前国佐賀藩の2代藩主・鍋島光茂の時代。

光茂の碁の相手を務めていた臣下の龍造寺又七郎が、

光茂の機嫌を損ねたために斬殺され、

又七郎の母も飼っていたネコに悲しみの胸中を語って自害。

母の血を嘗めたネコが化け猫となり、

城内に入り込んで毎晩のように光茂を苦しめるが、

光茂の忠臣・小森半左衛門がネコを退治し、鍋島家を救うという伝説

wikipediaより

 

 化け猫騒動の発端は猫ではなかった。

史実では鍋島氏以前に肥前を治めていた龍造寺隆信。

龍造寺氏の死後は彼の補佐だった鍋島直茂が実権を握ったが

そののち隆信の孫の高房が自殺。その父の政家も急死。

以来、龍造寺氏の残党が佐賀城下の治安を乱したため、

直茂は龍造寺の霊を鎮めるため、天祐寺(現・佐賀市多布施)を建造した。

これが騒動の発端とされています。

龍造寺の遺恨を想像上の猫の怪異で表現したものが

いわゆる「化け猫騒動」だと考えられています。

相次ぐ不運を、猫のせいにしたと言う、お粗末な話。

龍造寺隆信の子孫の又七郎の母が、たまたま猫を飼っていた、

と言うだけで、猫のせいにされたとあっては、たまったものではありません。

 

 苦情が後押しした化け猫伝説

この伝説は後に芝居化され、嘉永時代には

中村座で『花嵯峨野猫魔碑史』として初上演されました。

花嵯峨野猫魔碑史

花嵯峨野猫魔碑史

 

題名の「嵯峨野(さがの)」は京都府の地名ではありますが、

京都とは関係はなく、実際には「佐賀」をもじったものとされています。

この作品は全国的な大人気を博したものの、

鍋島藩から苦情が出たために間もなく上演中止に至りました。

その上演中止申請に携わった町奉行が鍋島氏の鍋島直孝だったため、

却って化け猫騒動の巷説が有名になる結果となってしまいました。

後年には講談として、『佐賀の夜桜』。

実録本として『佐賀怪猫伝』が世間に広く流布されました。

講談では龍造寺の後室から怨みを伝えられた猫が

小森半左衛門の母や妻を食い殺し、彼女らに化けて家を祟る。

実録では龍造寺の一件は関係しておらず、

鍋島藩士の小森半太夫に虐待された異国種の猫が怨みを抱き、

殿の愛妾を食い殺してその姿に成り変わり、

御家に仇をなすが、伊藤惣太らに退治されるというお話になっています。

昭和初期にはこの伝説を原案とした

『佐賀怪猫伝』『妖猫有馬御殿』『妖絃怪猫伝』などの怪談映画が大人気となり

化け猫役を多く演じる入江たか子、鈴木澄子といった女優が

「化け猫女優」として知られることとなりました。

当時のポスターですが、凄い迫力ですね。

化け猫 猫又 化け猫騒動

化け猫 猫又 化け猫騒動

いつの世もゴシップには尾ひれがつき物。

動物の妖怪は他にもいますが、

前出の化け猫話と

人の身近にいた猫が被害にあったと言わざるを得ません。

 

 

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化け猫の歴史

猫を妖怪視する記述が文献類に登場するのは、

鎌倉時代にさかのぼります。

同時代の説話集『古今著聞集』には、奇妙な行動をとる猫を指して

「魔の変化したものではないか」と疑う記述が見られます。

この頃の古い化け猫の話には、寺院で飼っていた猫が化けたなど、

寺にまつわる話が多いことが特徴です。

これは当時の仏教の伝来にともない、経典をネズミに齧られることを防ぐために

猫が一緒に輸入されたことが理由の一つと考えられています。

経典とともに、船乗り猫たちはお寺に身を寄せていたのでしょうか。

江戸時代に入ると、化け猫の話は各種の随筆や怪談集に登場するようになります。

民間伝承のように猫が人間に化ける話や人間の言葉を喋る話、

猫が踊る話は様々な文献に見られます。

『耳嚢』4巻によれば、どの猫も10年も生きれば言葉を話せるようになり

キツネと猫の間に生まれた猫は10年経たずとも口がきける、と書かれています。

化ける話においては、老いた猫が人間の老女に化けることが非常に多いとされています

化け猫の怪談はこの江戸時代が全盛期であり、

「鍋島の化け猫騒動」などが芝居で上演されたことでさらに有名なものとなりました。

化け猫 猫又 化け猫騒動

歌川国芳「五拾三次之内 岡崎の場」

 

現代では猫が10年生きるのは当たり前。

今よりも栄養も悪く、病気になったとしても獣医師もいない。

江戸の頃の猫の寿命は短く、

10年生きる猫はそう多くはいなかったのかもしれません。

 

 

浮世絵に描かれた『化け猫遊女』

甘えてきたかと思えば、急にそっけなくなる。

気高きプライドを持つこうした猫の神秘性は、

江戸時代の遊廓に勤めていた遊女のイメージとも結びつき

当時の草双紙などで人気を博していたキャラクター、

「化猫遊女」が生まれる元にもなったようです

化け猫 猫又 猫の妖怪

鳥居清長画『化物世櫃鉢木』

鳥居清経画『花相撲源氏張胆』

鳥居清経画『花相撲源氏張胆』

磯田湖龍斎画『売言葉』

磯田湖龍斎画『売言葉』

これも…ある意味化け猫遊女。

化け猫遊女 化け猫 浮世絵

 

 

今日のヒメちー

まあ、ヒメちー。なんて顔。

猫界ならばこの顔が何かわかるはず、そう、アクビの直前の顔です。

それでも怖ーい。

猫 化け猫騒動 化け猫の誤解

なんか失礼ですね…。

猫 化け猫騒動 化け猫の誤解

 

猫 化け猫騒動 化け猫の誤解

…化けて出たろか…。

猫 化け猫騒動 化け猫の誤解

猫 化け猫騒動 化け猫の誤解

もう寝ます。

起こしたら恨みますからね。

猫 化け猫騒動 化け猫の誤解

猫にとっては大きな濡れ衣だったともいえる化け猫騒動。

猫が時折見せる怖い顔と、

滑らかすぎる体も相まって、大きな誤解が生まれたようですね。

 

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