軍用犬の歴史。世界最古の軍用犬は紀元前。
古来、様々な国と地域で、犬は軍用犬として戦場へと駆り出されてきました。
最初の軍用犬は、紀元前8〜7世紀、
キンメリア人とギリシア人の戦いで用いられた記録が残っています。
正式に戦地に投入されたのは1775年アメリカ独立戦争や、
1817年のセミノール戦争で使われ始めた軍用犬。
当時は伝令犬としての運用記録が残っています。
アメリカ軍では第二次世界大戦期に於いて、
日本人のみを選別して殺傷する目的で訓練が行われ、
日本兵の捕虜を訓練標的に利用し、
大型犬を中心とする軍用犬部隊が組織されたましが、
攻撃犬としての運用は施行されず、戦争は終わりました。
現代においても、軍事行動において使役される軍用犬は決して少なくありません。
日本にもかつて旧日本軍が率いた軍用犬たちがおり、
その系譜は今の警察犬に繋がっています。
戦争によって本来育まれるべき人と犬の絆が
無残に切り裂かれた歴史があったのです。
軍国主義へと向かう時代の犬事情
日本で現在、警察犬を統括しているのは公益社団法人・日本警察犬協会です。
その前身が帝国軍用犬協会だと知ると、驚きを隠せません。
かつての軍用犬が警察犬につながっているとは、一体どういうことでしょうか。
話は昭和7年(1932)、今から92年前にさかのぼります。
この年に日本史上初めて、犬に関する国策団体が結成されました。
それが「帝国軍用犬協会」略して「帝犬」。
昭和7年と言えば満州事変の翌年、満洲国建国の年。
今から見ると、戦争に向かって坂を転げ落ちていたとしか思えませんが、
当時の日本には、そのような空気はありませんでした。
昭和初期は複雑な時代だったのです。
前年の満州事変には、試験的に「金剛号」と「那智号」という
2頭の軍用犬が戦地に送られました。
この2頭は残念ながら、戦地で命を落としました。
それが英雄化され、シェパードの大ブームが巻き起こりました。
とはいえ当時、犬はその辺で拾ってくるか、
近所で生まれた子犬をもらうのが普通でした。
高額なシェパードの飼育は富裕層の趣味でしかなかったため、
その頭数は少ないものでした。
それが俄然注目されるようになり、
一般庶民にまでシェパード人気が広まったのです。
陸軍の軍犬推進派にとって、これは絶好の追い風でした。
シェパードにも迫る軍用供出
もともと軍用犬の研究自体は、
大正8年(1919)から歩兵学校で始まっていましたが、
当時シェパードは輸入しなければならなかったため、
母体となる犬の数自体が少ない。
その上、陸軍中央の中でも
軍用犬に懐疑的な意見が強くありました。
「金剛号」と「那智号」の軍用犬2頭の殉職は美化され、
子ども向け雑誌で盛んに取り上げられて話題になり、
慰霊祭を行う学校も出てきました。
それを見て陸軍中央も、軍用犬が戦意高揚に役立つと気づいたのです。
そこで目をつけたのが、昭和3年(1929)に民間人が結成していた
日本シェパード倶楽部と言う、シェパード愛好家の集まりでした。
一から組織を作るより、この倶楽部を吸収する方が手っ取り早い。
1933年(昭和8年)には軍用犬の受け入れ窓口として
社団法人帝国軍用犬協会(現・日本警察犬協会)も発足し、
日本シェパード犬倶楽部(現・日本シェパード犬登録協会)から、
軍や警察へのシェパードの供給が行われるようになったのです。
日本シェパード犬倶楽部の発起人は石油会社の支店長を務める中島基熊氏。
他には、電通の前身に当たる日本電信通信社勤務で、
盲導犬という名称の名付け親になる中根栄氏、
新宿中村屋二代目社長である相馬安雄氏、
江戸時代から続く裕福な竹問屋に生まれた動物研究家の平岩米吉氏など、
知識人や富裕層がシェパードの飼育層でした。
日本シェパード倶楽部は人間の戸籍にあたる犬籍簿を作り、
血統の確立を目指していた。これはとても難しい作業です。
陸軍は倶楽部の吸収を企図して接触を図る。
倶楽部の理事たちは、会いたいという要求をのらりくらりとかわし続けました。
しかし、その後も軍からの圧力は続き、
やがて倶楽部の内部にも、時流に乗った親軍派が台頭してくることとなり、
理事たちの間で激論が交わされ、倶楽部内は揺れに揺れました。
一部の理事は帝国軍用犬協会が設立されれば、
幹部に登用されることを見込んでいたようである。
当時は軍に近づくことが出世への道になる時代でした。
結局、最後は陸軍大臣から直々の呼び出しがあって、
もはや抵抗は不可能になり、倶楽部は犬籍簿を引き渡して解散することとなりました。
こうして発足した帝国軍用犬協会は「軍犬報国」を掲げました。
そしてシェパードの飼育を呼びかけ、広く会員を募り、
訓練と購買会への参加をうながしたのです。
こうした「軍犬」の活躍は頻繁に新聞で伝えられました。
それは『勇敢な犬と、犬をかわいがるやさしい兵士』という印象付けのほか、
「犬さえも勇敢に働くのに、まして我々人間はがんばらねば」
という気持ちにさせるためだと思われます。
実際には新聞で勇ましく語られるほどの成果をあげておらず、
「戦場における軍犬の使用は損害のみ多く、
あまりはなばなしいところはない」と記されています。
まさに“犬死に”を強いられていたようです。
一方、帝犬に合流しなかった理事たちは、
日本シェパード犬協会という別組織を作って活動を続けていました。
敗戦からのシェパード犬協会復活。人のために働き続ける最良の友。
戦争が激化することによって、
シェパードを飼っていながら購買会に出さない飼い主への、
周囲からの圧力は強まっていくこととなります。
しかし太平洋戦争末期になると、訓練や購買会の開催自体が難しくなり、
帝犬も、昭和18年(1943)末には活動を停止し、
やがて日本は敗戦の時を迎えました。
国外に配備された軍用犬たちは終戦時、
復員船に乗ることはかなわず、帝犬は日本に、飼い主の元に帰ることなく、
現地で引き取られた犬もいましたが食糧不足で食用に供された犬もあった、と言われています。
しかし、誰もが茫然自失の状態にあるなか、
帝犬に合流しなかった理事たちが作った日本シェパード犬協会が、
いち早く活動を再開しました。
なんと敗戦の3ヶ月後には世田谷で鑑賞会を開いたのです。
また、旧帝犬関係者も次第に集まり、昭和22年(1947)3月、
上野で日本警察犬協会を発足させました。
帝犬と同じく、会員が犬を育てて訓練し、
試験に合格すると警察犬になるという仕組み。
今年で戦後79年。物言わぬ最良の友である犬は、
かくして人間のために働き続けているのです。
今日のヒメちー
…どこが頭でどこが足だろう…。
ヒメちー、いつもなら退屈ですーとか言うのに、
すごい恰好で寝てるわね。
寝ていませんよ。
ひとの都合で戦地に赴いた、シェパードたちのことを愁いています。
ひとは犬や猫を育て、
犬や猫もひとの良きパートナーとして活躍しているというのに、
なぜこういう事が起きるのでしょう。
もしかしたらひとは動物の良き隣人ではないのでしょうか。
ひとにもね、いろんな人がいるということよね。
よしよし。
ヒメちーは心配しなくていいのよー。
動物を保護し、繁殖させるのは人。
動物を危険な目に合わせるのも人。
ひとは過去を教訓に、
もう二度とこのようなことが起きないと信じたい。
コメント
わんこの忠誠心を利用して死に追いやるなんてひどい所業です。
10年ほど前でしょうか、「さよならアルマ」という軍用犬をもとにしたドラマがありました。わんこたちが可哀そうで泣けました。
あんなことはもう二度と繰り返させてはいけないですね。
戦争反対!絶対反対!!