【オスマン帝国時代から】トルコ・イスタンブールは猫にも優しい国だった。

 

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動物たちにとっての楽園?トルコの人たちが猫に優しいわけ。

 

トルコ、イスタンブールの街が犬に対して、とても寛容な国である、という記事を書きました。

 

トルコの人々が優しいのは犬に対してだけではありません。

イスタンブールは有数の猫に優しい街。

この看板には、「注意! 猫居眠り中につき、起こすべからず」

と書いてあります。

カラパイアより

 

猫と言う生き物は、いつでもどこでも、居心地が良ければそこが最高のベッド。

また、居心地のいい場所を見つける天才でもあります。

 

 トルコに猫文化が根付いた理由

東と西が出会う街、トルコ・イスタンブール。

海に面したこの街は古くから貿易で栄えてきました。

猫はオスマン帝国時代に船に乗ってエジプトからトルコに持ち込まれたようです。

そして猫たちはトルコを経由してヨーロッパへ渡っていきました。

イスラム教の預言者ムハンマドが猫好きであったともいわれており、

ジョン・フレデリック・ルイス・画

 

それもトルコで猫が古くから可愛がられる要因だったのかもしれせん。

 

 犬だけではなく、猫を題材にした映画も。

トルコ・イスタンブールには多数の家族のいない犬や猫が存在ます。

こうした犬や猫は、お外で暮らしています。

家で飼われているわけではありません。路上が彼らの住み家。

でもよく言われる、野良犬・野良猫という名前はしっくりきません。

あっちに行けと追い払われるのではなく、

行き交う人々にエサをもらい、撫でてもらい、

気が向いたらお店の中に入ってぐうぐうと昼寝。

まさに、犬や猫にとっては楽園のよう。

人に「飼われる」と言う、ある意味不自然な暮らしではなく、

野生でありながら人と共存する。

人にとっても猫にとっても理想の形なのかもしれません。

そんなイスタンブールの猫たちを描いたトルコ映画があります。

邦題は「猫が教えてくれたこと」。トルコ語の題は「Kedi (猫)」です。

イスタンブールの町の美しさとそこに住む猫たちと

トルコ人の交流を描いたドキュメンタリ2017年に年に制作されました。

こんな素敵な映画が公開されていたことに気づかず、

見逃してしまいましたが、

予告編だけでも楽しめます。

 

 

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猫の国トルコには、ホームレス猫専用の宿泊施設が複数存在する

 

トルコ黒海地方サムスン北部の州には、81000平方メートルにも及ぶ

猫の宿泊施設『kedikasabasi』があり、そこは「猫の町」と呼ばれているそうです。

よく比較に使われる東京ドーム2個分。

どれだけ広いか、想像もつきません。

このエリアには、ホームレスの野良猫たちのための

個別の木製の建物が複数設置されてあり、

自治体が管理して猫の世話を行っているという事です。

カラパイアより

カラパイアより

 

飼い主のいない猫たちは、

ここで冬の寒さに震えることなく、自由気ままな暮らしを楽しんでいるのでしょうね。

ここでちょっと疑問。

トルコには、犬や猫が嫌いな人はいないのかしら?

 

 犬や猫が嫌いな人はいないの?

トルコは犬や猫に寛容とはいえ、

全ての人が動物好きというわけではないと思われます。

ですからすべての犬猫が幸せなわけではありません。

生まれる場所によって犬猫の人生 (猫生?犬生?) が決まります。

すごくかわいがられる子もいれば、餌探しに四苦八苦する子もいます。

寒い冬には寒すぎて死んでしまう子もいます。

弱肉強食の世界なので、いつも餌にありつける子といつも餌に不足している子がいるのも事実。

日本でも、「猫島」と呼ばれる猫の楽園の様な島がいくつかありますが、

こちらでもすべての島民が、猫が好き、と言うわけではないそうです。

島民の中には、猫がどうしても好きになれず、

猫がそこら中にいること、

猫目当ての観光客がやってくることを好ましく思わない人もいるようです。

もしも国を挙げて、爬虫類や虫たちをかわいがろう、

という政策が取られたとしても、きっとわたしも爬虫類を可愛いとは思えません。

自分から敵意をむき出しにし、攻撃することはないでしょうが、

可愛がれ、と言われても…。

ちょっと無理。

いろんな考え方の人がいて、

いろんな幸せの在り方があるけれど、

トルコ・イスタンブールの犬、猫たちは、

多分どこの国の犬、猫よりも幸せに生きているのだろうと思います。

願わくば、全世界で、こういう取り組みが行われて欲しいものです。

 

 

今日のヒメちー。と番外編。

 

寒い冬に身を寄せ合って暖を取る地域猫の子。

お日様を一杯浴びてポカポカ。

この子はもう11歳。うんと小さくなってしまった。

若いころは「ドラ猫」、という感じで、通称ドラちゃんと呼んでいる。

この子のお母さんはもう1年、姿を見ていない。

6匹の兄弟だったけれど、今はドラちゃん含め3匹しかいない。

外の猫たちには、家はないけれど、自由はある。

好きなところへ行く自由、恋をする自由、

自分の生き方は自分で決められる自由。

暖かい家の中で暮らすことのできるヒメちー。

わたしたちは、ヒメちーの自由を奪ってしまったという負い目が常にある。

ヒメちーだって本当は、恋をして、子孫を残したかったかもしれない。

それでも、うちの子でいて、幸せだ、と言ってもらえるよう、

ずっとずっと、努力したい。

飼っている、のではなく一緒に暮らしている、と言いたい。

 

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