「あなたは祖国のために戦えますか」
ジャーナリストの櫻井よしこ氏の
「あなたは祖国のために戦えますか」というポストが話題になっている。
有料配信のため、詳細は見ていないが、
この発言にはどういう意図があるのだろう。
祖国のために戦うかどうか考えたこともない若者が安全保障の授業を受け、
「外国が攻めてきた時に、自分はどうすればいいのだろう」と考え、
愛する家族を命をかけて守ると考えて銃を取るシチュエーションであれば、
それはそれで一人の成人が下した結論であるから、
周囲がとやかく言う問題ではない。
「あなたは祖国のために戦えますか」。多くの若者がNOと答えるのが日本です。安全保障を教えてこなかったからです。元空将の織田邦男教授は麗澤大学で安全保障を教えています。100分の授業を14回、学生たちは見事に変わりました。https://t.co/L76ATs2Bai#言論テレビ #櫻井よしこ pic.twitter.com/6g9aaQ7DZh
— 櫻井よしこ (@YoshikoSakurai) January 19, 2024
日本には「戦争は絶対悪」という最優先の価値基準がある。
これは先の戦争を命がけで戦った先人がもたらしたもの。
北朝鮮がミサイルを発射し、
Jアラートが鳴って安全な場所に避難させられている現状をどう見ているのか。
北朝鮮も中国も在日米軍基地への攻撃は当然選択肢に入り、
集団的自衛権の行使もできる日本が
平和でいられるのもそれほど長い時間ではないかもしれない。
こうした情勢を見てもなお、
日本だけが平和外交をして軍事衝突を回避できると思っているとしたら、
よほどの愚か者か、現状から目を背けて
国民を危険に陥らせることを狙う政治勢力と言って差し支えないのではないか。
自国を自国民で守るというのは理解できるが、
いつの時代も老人が若者に戦場に行くよう勧めるのはおかしなことだ。
真っ先に戦場に赴く老人がいてもいいのではないか。
戦争で真っ先に犠牲になるのは若者と動物たち。
戦時下における動物園の動物たちの悲劇は
有名なものとなり、ご存じの方も多いでしょう。
けれど、世の中には名を残さず犠牲となった多くの命がありました。
柴犬が今の姿になったのはいつ? 激動の昭和史と柴犬の過酷な運命
国内外で人気の高い柴犬。
天然記念物にも指定されている犬種ですが、
この柴犬が今日私たちが認識する姿になった背景には、
長い歴史と多くの人の努力がありました。
各地の小型犬から「柴犬」は生まれた
柴犬は秋田犬と並んで、日本を代表する犬種。
しかし秋田犬は、もはや国内では支えきれないほど飼育数が減っています。
一方、日本犬で唯一の小型犬である柴犬は、
ほぼ安定した飼育数を維持しています。
日本で飼われている日本犬の8割は柴犬だとも言われています。
ぎりぎりマンションでも飼える大きさで、
可愛さと凛々しさの双方を備えているのが柴犬の強み。
しかし、柴犬の今日における不動の地位は、
多くの人々の汗と涙の結晶だということをご存じでしょうか。
柴犬は日本犬6種の中で唯一、地名を冠していない犬種になります。
このことに柴犬の成り立ちが現れています。
明治の末頃までは日本各地に、鳥やうさぎを獲る様々な小型犬がいました。
しかし大正に入る頃には、その多くが絶滅してしまっていました。
そこで産地にこだわらず、わずかに生き残っていた小型犬をまとめて
正式に「柴犬」という名称をつけ、天然記念物の指定をしました。
昭和11年(1936)、二・二六事件が起きて、
世論が急速に戦争に傾いた年のことでした。
私たちが今知っている柴犬は、厳密にはこの時に誕生したのです。
柴犬の歴史は、山奥で生き残っていた小型犬を探し、
系統繁殖して固定化することから始まりました。
ひとの西洋化に合わせて、犬も西洋化。
昭和の時代には、多くの西洋文化が入り、
このころには西洋で生まれた犬が日本でも多く飼育されることとなりました。
西洋の文化が一気に入り、日本独自の犬の数は減少。
そのことに危機感を覚えた有志による
日本犬保存運動は東京で始まり、都会を中心に盛り上がっていました。
そもそも、小型の日本犬が注目され始めたのは、昭和3年(1929)頃。
日本犬保存会創立者の斎藤弘吉氏が、
群馬県で猟師が飼っていた優秀な小型犬を譲り受け、
「十石号」と名付けて紹介したことによるものでした。
残念なことに十石号、系統繁殖のための種犬にはなれませんでした。
固定化できなければ、犬種を維持できない。
いい犬を見つけることは関係者の悲願となったのです。
そんな中で発見され、今日につながる柴犬の源流となったのは、
島根県の山奥で人知れずひっそりと飼われていた犬、「石号」であったと言われています。
山陰には昔から、石州犬や石見犬(いわみいぬ)と呼ばれる小型犬がいたのです。
東京の有名な佐藤犬舎に入って種犬となった石号には、交配希望が殺到しました。
その中に、やはり四国の山中で発見された「コロ号」という雌犬がいて、
交配を実現させました。
島根の「石号」と四国の「コロ号」。
2頭の間から生まれた「アカ号」は、
昭和14年(1939)の第8回本部展で日本犬保存会賞を受賞。
両親の短所を補い、長所を受け継いだ近来の傑作だと賞賛されました。
柴犬は天然記念物に指定され、
ここから柴犬の系統繁殖が本格化したのです。
戦争に翻弄される中で守り抜かれた血統
アカ号が華々しくデビューした昭和14年(1939)は、日中戦争2年目。
「贅沢は敵だ」という有名な標語が登場しました。
前年には国家総動員令が施行され、節米運動も始まり。
犬は贅沢品とされ、飼育に逆風が吹きはじめていました。
やがて飼料が不足し、飼い主が出征することも増え、
生産量が減少した軍用兎の代わりに、
畜犬(飼い犬)の供出買上や献納、
また野犬の掃蕩によって集めた犬の毛皮を、
兵士の防寒着や航空服・航空帽の材料にしようという
犬の供出運動が吹き荒れ、
天然記念物であるはずの柴犬にも撲殺の運命が降りかかってくることに。
やっと系統繁殖が成功しつつあった柴犬の先行きも、真っ暗になったのです。
飼育者は、供出するか山に放つか隠れて飼育するかという、
苦渋の選択を迫られた。
そんな過酷な時代を何とか生き抜いた柴犬がいました。
アカ号の血を受け継いだ「紅子号」から、昭和18年(1943)、
戦後の柴犬隆盛を担うことになる「中号」が生まれていたのです。
犬は供出して撲殺という時代に、
最後まで手放さず血をつないだ飼い主。
おそらく周囲から非難されて大変だっだと思われます。
現在の柴犬はすべてこの「中号」の子孫なのです。
日本犬が軽んじられた不遇の時代を山中でひっそりと生き抜き、
ようやく発見されるも戦渦に巻き込まれ、
やがて平和の到来と高度成長を追い風に広まった柴犬の歴史は、
日本の昭和史そのものと言えるのではないでしょうか。
今日のヒメちー
犬の毛皮、猫の毛皮。
ウサギやキツネなら良くて、犬や猫はダメ、とは言いませんが、
ひとが始めた愚かな戦争で
多くの同胞の命が無くなったことは許せません。
悲しきことです。
今の日本はどうでしょう。
「お国のため」と言う呪縛は
やはり人を縛るのでしょうか。
その時、
ねぇやんはヒメを守ってくれるでしょうか。
心配しないで、ヒメちー。
ねぇやんは戦うよ。
お国のためじゃなくってヒメちーのために。
その場合、もしかしたら敵は「お国」かもしれないけど。
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