戦争で犠牲になるのは人だけではない。
先の戦争では、人もですが、数多くの犬や猫が犠牲となりました。
戦地へ送り込まれた軍用犬はもちろん、
銃後のペットも食糧難や空襲で命を落としていきました。
中でも悲慘だったのが犬の献納運動。
「軍用皮革の不足を補うため、国家が個人のペットを毛皮にした」という史実。
古来、日本人と犬は共に生き続けてきました。
その共生の形が崩壊し、多くの犬が死に追いやられた時代があるのです。
第二次世界大戦中、数えきれないほどの犬が
人間の都合で供出され、理不尽に命を奪われました。
人間と犬の絆を引き裂いた戦争
日本の犬は、縄文時代から人間と共に暮らしてきました。
長く番犬や狩猟犬だったと思われてきましたが、
2023年9月、愛知県田原市の伊川津貝塚(いかわづかいづか)から、
犬の墓に添えられた貝殻製のアクセサリーが見つかったことで
愛玩犬として可愛がる人間もいたのではないだろうか、と想像できます。
そんな縄文犬に弥生犬が混入し、
明治維新により洋犬も流入してきて、
昭和初期には多様な犬が人間と共に暮らしていました。
しかし、昭和10年代の半ば、日本の犬に史上最大の危機が迫ってきたのです。
それは戦争。
日本は、前年に起きた盧溝橋(ろこうきょう)事件の収束に失敗。
日中全面戦争が始まり、やがて戦線は膠着する。
満州開拓を目的とした青少年義勇軍の募集も始まり、
大陸への進出が加速していく。
一方で、無理な戦線拡大により物資が不足し始め、
国家総動員体制下で生活必需品が配給制となりました。
なかでも犬たちを直撃したのが「節米運動」です。
人が食べるものが無い中、ペットが食べるものはない。
当時、ペットフードはなく、犬は人間の残飯をもらっていたので、
これは死活問題となりました。
「人間でさえ米が充分に食べられないのに、犬ごときに米を食べさせるとは何事か」と、
何より周囲の目が厳しくなったのです。
翌昭和14年(1939)には、燃料不足から木炭バスが走り出す。
国民徴用令も公布された。
そして翌昭和15年(1940)、犬にとって決定的となる出来事が起きたのです。
ペットをお国のために差し出す供出犬・供出猫の誕生
「非常時には統制を強化しなければいけないと言いつつ、
閣僚たちは実際には何もしていない」(趣意)と批判した北昤吉議員。
そして「軍用犬以外の犬猫を全部殺してしまう。
そうすれは毛や皮は出る。飼料はうんと助かります。
そこまでやらなければ、統制は強化にならぬと思う。
陸軍大臣のお考えを承りたい」と迫った。
北議員の質問は人々を驚かせました。
軍大臣でさえ、この発言には
「犬を全部殺して愛犬家の楽しみを奪ったが良いか悪いかにつきましては、
なお折角検討いたしたいと思います」と、受け流した。
愛犬家で知られた荒木陸軍大将も、
帝国軍用犬協会の機関紙『軍用犬』に掲載された座談会で、
「了見が狭い」と苦言を呈した。
この時点では陸軍さえ驚く極論だった犬の供出。
それが、あっという間に国策のようになっていってしまったのです。
翌昭和16年(1945)、日本は取り返しがつかない決断をしました。
対英米戦、つまり太平洋戦争に突入したのです。
すでに物資が欠乏し、前年には有名な、
「ぜいたくは敵だ」という標語が登場していました。
案の定、戦局はすぐに暗転し、あらゆる物資が足りなくなる中、
贅沢の象徴として犬に敵意が向けられるようになりました。
そこから犬猫献納運動、いわゆる犬の供出が始まるのです。
それを後押ししたのが、地域を小単位で組織した隣組。
配給も隣組を通じて行われ、同調圧力の推進装置となりました。
「犬を飼うのは贅沢」
「戦争に協力しない非国民」という空気は、
隣組の水も漏らさぬ監視によって成り立ったのでしょう。
別に法的根拠があるわけではないが、同調圧力には逆らえない。
最後まで抵抗したのはほんの一握りで、多くは泣く泣く犬を連れていったのです。
戦争末期の昭和19年(1944)12月、国は事態を追認する形で供出を公式に認めました。
軍需毛皮の兎が不足したことから、
「みんなで兎を飼ひませう」という名のもとに
毛皮、そして肉を取るためにウサギを飼うことも推奨されました。
その頃には、食料を荒らすネズミを退治する役割の合った猫も
犬と同じように供出するよう求められたのです。
犬や猫をどうしても供出できず、山に捨てに行った飼い主もいました。
この頃になると食糧不足に加え、空襲も激しくなっており、
飼い犬が野良化すること、さらには狂犬病が流行ることを恐れた当局が、
人びとに半ば強制的にペットを献納させ、次々に撲殺・薬殺していきました。
一部は毛皮や食肉に加工されたようですが、
多くは利用されること無く廃棄されたと言われています。
犬の供出が本格化した太平洋戦争後期には、
出征による人不足や機材の欠乏によって、
どの産業も崩壊しており、皮革の製作も不可能でした。
毛皮として使われた形跡もなく、
警察署の裏に遺体が山積みになって放置されていたという目撃証言が、
いくつも残されています。
回覧板に「決戦下犬は重要な軍需品として立派な御役に立ちます」と書かれていましたが、
実際は犬死だったと言わざるをえません。
結局のところ供出は、
「犬など飼っている場合ではない」という、
戦争遂行への覚悟を促す象徴的行為として行われたと言えるのです。
犬の供出も他の事案と同様、資料の多くが敗戦間際に焼却されており、
全体像を把握するのは難しくなっています。
しかし、断片的ではあるが体験が残されているため、
後世の我々もその一端を知ることができたのです。
当時の日本は保存活動がやっと軌道に乗ったばかり。
とくに大きな被害を受けた秋田犬に至っては十数頭まで減ってしまったと言われています。
この時期、日本の犬はまさに絶滅の危機に瀕していたのです。
人間にとって辛い時代はペットにとっても辛い時代だったのです。
もう二度と、このようなことが起きてはならないのです。
今日のヒメちー
戦争では多くの同胞の命が犠牲になったのですね。
戦争は人の心を狂わせます。
正常な判断ができなくなってしまうのでしょう。
ひとは犬や猫を助けてもくれますが、
またこのような行為をするのも人なのですね。
もしも今、戦争が起きて、
犬や猫を飼うのはぜいたくだ。
供出せよ、と言われたら、ヒメも供出されてしまうのでしょうか。
もしもそんなことになったら、
ねぇやん、ヒメちーを連れて、森の中でも山の中でも、
どこにだって逃げて見せるわ。
ひとは愚かではあるけれど、学習するものだと思う。
もう二度と、そんなことは起きない。
そう信じたい。
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