中越沖地震の思い出
2004年10月23日午後5時56分。
その時わたし達は父の実家である新潟県にいました。
わたしといもーとは小学生でしたがあの日のことはよく覚えています。
一部ままちゃんの記憶に補正してもらいながらですが。
あの日はぱぱちゃんの叔父さんの葬儀があり、
正確には葬儀が終わり翌日に帰る予定でもう一泊、
おばあちゃんのうちに泊まることに。
そして地震に遭いました。
入浴中でしたが、お風呂のお湯が大きく波打ち、
まるで海のようでした。
おばあちゃんの家は町から少し離れたところにあって、
町に出るための道が土砂でふさがれて孤立してしまい、
消防団の人たちが徒歩で隣の避難所へ物資をもらいに行き、
物資が配られたのは日付が変わるころだったそうです。
避難物資は
水500ml一本
カップラーメン二個
これが一人分。
電気もガスも水道も止まっているのにどうしろと?
わたし達は住民の頭数に入ってないので当然もらえないものと思ってましたが、
家族が町に出ている人は当然帰ってこられないだろうということで分けてもらえました。
寒くて余震のたびに崩れそうになる避難所の小学校で一晩を明かしました。
翌日自己責任で自宅へ戻っていいということで、おばあちゃんのうちへ戻ることに。
…窓は外れガラスが粉々、家の中はしっちゃかめっちゃかでした。
帰る予定だったのだけれど、道が通れないためしばらく帰れない。
男の人たちが農機具を駆使して土砂を掘り出して
車が一台通れるようになったのは地震から三日後でした。
家庭内防災会議
前置きが長くなっちゃいましたが、この経験から、
我が家では10月23日付近に防災会議を開きます(会議好き)。
わたしの勤め先といもーとの学校は徒歩で5分くらい
他にも日中ではないときや休みの日に
それぞれが出かけている場合の避難方法を話し合う。
緊急時の2万円とは家計から出ていて、その名の通り緊急時に使うもの。
財布の中に自分のお金とは分けて入れておくんだけど
わたしも学生の頃はよく使いこんじゃってた。
避難用リュックは緊急度に応じて詰めてある。
前は大きなリュックだったけど、ヒメちーと大きなリュック背負っては
逃げられないということで細分化した。
ヒメちーの物も避難用リュックに入れてある
防災用品の点検を手伝う猫
ヒメもてんけんするー
これにヒメも入るのか…(入んないよ)
中越地震後、学校で友達が
「学校にいるときに地震が起きてほしい。家で一人の時はヤダな」と
言っていた。
この子のうちはお母さんも勤めていたから
わたしは、もちろん災害なんて起きない方がいいけど、万が一起きるのなら
家族と一緒の時がいい。
どうか、この準備が無駄になりますように…
参加してみました
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