黒猫はキリスト教の布教戦略に使われた悲劇の猫。
先日の記事の続きです。
魔女と黒猫の事も書こうと思ったら凄い文字数になっちゃったので。
グレゴリウス9世の黒猫非難勅令
史上最初で最悪な公式な「ネコ排除」の勅令を発令したのは
非常に有能な法学者でもあった教皇グレゴリウス9世。
1232年、グレゴリウス9世は
「ラマの声(Vox in Rama)」という名前の教皇勅令を発表しました。
この時代、ローマ教皇はキリスト教圏各地の国王に対し
教皇の権力に対する絶対的な服従を求めていた時代で、
特にまだ辺境は完全にキリスト教が普及しきっておらず、
旧来の宗教が根強く生き残っていました。
そのため、「旧来の宗教を信ずるのは悪魔を信ずることである故、
正しい教えに従い、正しい教えを司る教皇に従いなさい」と
各地の王に命令する目的で書かれました。
その教皇勅令の中で黒猫は
「サタンの忠実な下僕であり、また魔王ルシファーの体の半分も黒猫であり、
悪魔崇拝の儀式で黒猫と化すのである」のように記述されています。
![【魔女と黒猫】黒猫は魔女の使い魔?誤解から生まれた黒猫の受難](https://i1.wp.com/mainichihime.com/wp-content/uploads/2022/05/080047c41d77c58d97cf85ec35d0e15b.jpg?resize=474%2C516&ssl=1)
神曲のルシファー Codex Altonensis作
この絵を見るとただの毛深い狂暴なおっさんにしか見えませんが…。
教皇勅令はこの頃はスコットランドやアイルランドなどケルト人の間で
まだ黒猫を神秘的な存在とみなす風習が残っており、
彼らをキリスト教徒に取り込むことを意図して描かれたと思われます。
またこの頃から、猫を焚き火の中で燃やして殺す風習が広がり始めました。
猫を燃やす日はいくつかあり、
四旬節(復活祭の46日前の水曜日から前日までのこと)の前の最後の火曜日、
四旬節の最初の日曜日、復活祭の日曜日、聖ヨハネの祭日(6月24日)が含まれており、
特に聖なる日やその前後に悪魔を町から排除するために集中的に殺されたようです。
キリスト教が一般に広まった後、「黒猫排除」の文脈はヨーロッパ各地に急速に広まっていきます。
魔女伝説と黒猫
社会制度や経済発展に伴う宗教・階級の流動性に伴い、
庶民が漠然とした不安を感じはじめた15世紀ごろから魔女狩りが本格化。
16世紀をピークに、魔女と疑わる人物や集団が大量に虐殺されるようになります。
この頃になると、黒猫は魔女と関連付けられ
市民によって自発的に排除されるようになります。
それを裏付けるのが、
1560年代にイングランドのリンカーンシャー地方で発生した民間伝承。
とある月のない晩、父と息子が夜の町中を歩いていると、
黒い猫が現れて目の前を横切っていった。2人は「この黒猫め」と石を拾って投げつけた。
石はいくつもあたって黒猫は流血し、
命からがらある女の家の床下の隙間に入り込んでいった。翌日、父と息子は昨晩黒猫が逃げ込んだ家の女が負傷していることに気づき、
「あの家の女は魔女で、あの黒猫は女が化けていたのだ!と
街中に噂が広がったのだ。
このように、黒猫は魔女が夜半に化けて出た姿というお話は広がり、
また悪魔崇拝の儀式に必要なパートナーであるとみなされるようになりました。
魔女裁判では「猫を飼っている」というのは
その人が魔女本人かあるいは悪魔崇拝者であることの重要な証拠とされ、
判決では魔女・悪魔崇拝者と猫は共に焼き殺されました。
魔女狩りが盛んになっていくと、猫を殺すことが習慣化していきます。
現代でもその習慣の一部が残っている地域があります。
代表的なのが、ベルギー・イーペルの「猫祭り」
イーペルでは1817年まで1年に1度「猫の水曜日」に、
生きた猫を塔の上から投げ落とす習慣がありました。
現在では「猫祭り」は3年に1度開催される観光客向けのお祭りとなっており、
生きた猫ではなく猫の人形が落とされるようになっています。
一方、ヨーロッパの人が黒猫を全員が憎んでいたわけではないようで、
例えばイングランドのチャールズ1世(1600-1649)は黒猫を飼っていて大変愛していたそうです。
チャールズ1世は黒猫を「幸運のシンボル」であると考えており、
ピューリタン革命によって追い落とされ斬首される時、
「私は自分の幸運を残して逝くよ」と述べたと言われています。
現代の我々が知っているように「黒猫は不吉」という風習は
未だに根強く残っている地域もあるようです。
「悪魔が黒猫に姿を借りて、悪魔信仰の者たちの前に降臨する」
この場合の悪魔というのは北欧の女神フレイヤのことだと言われています。
フレイヤは生と死、愛情と戦い、豊饒とセイズを司る女神。
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ヨハンズ・ゲールツ作 1901年頃
セイズとは、魔術の一種を指す古ノルド語の用語で、
セイズには性的な一面があり、実際に性的行為を行った可能性もあると言われています。
このことがカトリック教会の憎悪を買いました。
猫のひく戦車に乗っていると言われていたフレイヤ。
![【魔女と黒猫】黒猫は魔女の使い魔?誤解から生まれた黒猫の受難](https://i1.wp.com/mainichihime.com/wp-content/uploads/2022/05/44d29d2792be3bad9a9ed98c7bbb20d6.jpg?resize=475%2C315&ssl=1)
ニルス・ブロメール作 1852年
猫は、性的堕落を助長する魔女の手下と言うことで、
魔女裁判がおこなわれるようになると何千頭という猫が犠牲になりました。
黒猫に限らず、猫は性的要素の強い異教徒の女神(魔女)と共に
長く闇に葬られていきます。
このように猫の数が減っていくと、
ネズミが大量発生して多くの疫病が蔓延します。
そこで愚かな人々は
「猫の魔力に気をつけながら、猫を利用方法を重視すべき」と
かつて猫を悪魔と唱えたその口で言い、
17世紀になってやっと猫の長い受難の時代は終わりを告げました。
それ以降、猫はやはり可愛いマスコットとして広く飼われるようになり、
現代の愛玩動物へと華麗なるジョブチェンジ、いいえ、
本来の地位を取り戻すことになったのです。
人の都合により、
悪魔の手先にも、有害な害虫を退治してくれる使役動物にもなったり、
また、神になったり、と忙しい猫。
エジプト文明における、ラーの女神が黒猫バステトであったことも
異教を悪とする人に付け込まれる理由だったのかもしれませんね。
今日のヒメちー
まったく。
人の都合で振り回されてはかないませんね。
猫は猫です。
猫以外の何者でもありません。
…いつか猫族が人にしっぺ返しをくらわすかもしれませんよ…
ヒメちー、なんだか怖いわ。
ただそのくらいの事を、
人は猫にしてしまって来たのでしょうね。
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