猫と船に長い歴史あり
ほとんどの猫はシャンプー、水で体が濡れることが嫌い。
いたずらでお風呂場に入ることはあるものの、
体を洗おうとすれば、この世の終わりのように泣き叫び、
隙あらば逃走を図ろうとします。
そんな水との相性は最悪ともいえる猫が、
長い間、船乗りの任務に就いていたそうです。
人のために働く、と言えばワンコ。
様々な働く猫たちを記事にしてきましたが、
海の上で働く猫たちもいたのです。
船乗り猫について
ネズミの駆除のために船では、
古代より猫が飼われてきました。
ネズミは帆やロープを齧ってしまう他、
積み荷や食料にも被害を与えてしまう。
また中世紀以降は、船のネズミはペストの媒介者としても知られていました。
技術が進歩した近代においても電線を齧って断線させたり、
ショートの原因を作る犯人とされています。
そのネズミを退治してくれる猫。
また猫は荒天を遠ざけるといった迷信もあります。
こういった理由から様々な有名な「船乗り猫(Ship’s cat)」が誕生し、
活躍していたのです。
「船乗り猫(Ship’s cat)」と呼ばれた猫たち
Camouflage カモフラージュは、第二次世界大戦の太平洋戦争で
米国沿岸警備隊のLSTに搭乗した船の猫でした。
彼は甲板を横切って敵の曳光弾を追いかけたことで知られていました。
Chibley チブリーは動物保護施設から救出され、
練習船としてのピクトンキャッスル号に乗船。
世界を5回周回し180,000マイル以上航海しました。
Convoy コンボイは護送船団、HMS ハーマイオニーに乗った船の猫でした。
1942年6月16日にドイツの潜水艦 U-205によって
ハーマイオニーが魚雷で撃沈されたとき、
彼は87人の乗組員とともに海に沈みました。
Felix フェリックスは、第二次世界大戦後の英国と米国の間を行き来する、メ
イフラワーII号に乗った船の猫でした。
彼は自分の救命胴衣を与えられていました。
事故で足を骨折したこともあり、
その際には船医によって治療を受けたこともあります。
Jenny ジェニーは1912年、処女航海タイタニック号に乗った船の猫でした。
ジェニーと、彼女の子猫たちは、食堂のスタッフによって世話をされていました。
Mrs Chippy ミセス・チッピー(実際にはオス猫)は、エンデュアランス号に乗った船の猫でした。
この船は、イギリスのアーネスト・シャクルトン卿が
帝国南極横断探検隊のために使用した船です。
流氷に押しつぶされ、船がこわれ閉じ込められた時、
シャクルトンはそり犬とともに、ミセス・チッピーを撃ち殺さなければなりませんでした。
この出来事により、シャクルトンは、
困難な旅の途中で動物を飼うことはできないと判断しました。
Peebles ピーブルズはHMS ウエスタンアイルズに乗った船の猫でした。
船の乗組員のお気に入りになった彼は、
特に頭が良く、見知らぬ人が船に入ると手を振るということで知られていました。
Pooli プーリーは、第二次世界大戦中に米国の攻撃輸送艦に乗船しました。
彼女は3つのメダルリボンと4つの従軍星章受賞しました。
Rinda リンダは、第二次世界大戦中に魚雷で撃沈された
ノルウェーの貨物船リンダの船の猫でした。
生き残った乗組員は、愛する船の猫が救命ボートに乗っていないことに気づき、
リンダの姿を探し、夜まで救命ボートを漕ぎ続けました。
リンダは貨物船の乗組員の必死の捜索で発見され、
濡れた毛玉を救い上げると、隊員たちは、一斉に笑ったり泣いたりしました。
Simon サイモンは1949年のヤンツェ事件の際に船の砲撃で負傷しました。
彼はすぐに回復し、ネズミを殺し、乗組員の士気を維持することを再開しました。
彼は「エイブルシーキャット」サイモンの階級に任命され、
船が揚子江を脱出してイギリスに戻った後、有名人になりました。
そののち、彼は感染症にかかり、すぐに亡くなりました。
彼は死後、ディッキンメダルを授与され、埋葬されました。
Tarawa タラワは、米国沿岸警備隊によって救出された子猫でした。
彼女はLSTに乗ったマスコットでしたが、
LSTの他のマスコットであるコディアックという犬と仲良くならず、
船から降りることとなりました。
Tiddles ティドルズは、イギリス海軍 空母の船の猫でした。
彼は母猫が、HMS アーガス乗船中に生まれ、
後にHMSヴィクトリアスに入社しました 。
彼は勤務中に最終的に30,000マイル(48,000 km)以上移動しました。
Togo トーゴはHMS ドレッドノートの船の猫でした。
ペルシャ猫のトーゴは、船の主砲の銃身で休んでいることで知られていました。
Trim トリムは、1801年から1803年にかけてオーストラリアの海岸線を一周して
地図を作成する航海船の猫でした。
彼は乗組員のお気に入りになり、オーストラリアを一周した最初の猫でした。
彼は死ぬまでイギリスの航海者、海図作成者であるフリンダースと一緒におり、
シドニーのニューサウスウェールズ州立図書館には彼の名誉の彫像が置かれています。
Blackie ブラッキー。「プリンス・オブ・ウェールズ」には「ブラッキー」という猫がいました。
1941年8月、チャーチル首相とアメリカのルーズベルト大統領が
同艦で「大西洋憲章」の宣言を行った際の、
チャーチルがブラッキーを撫でている写真が有名になりました。
「プリンス・オブ・ウェールズ」はその後シンガポールへ派遣され、
ブラッキーも乗り組んでいます。同艦は1941年12月、
マレー沖海戦で日本海軍航空隊に撃沈されますが、ブラッキーは生き残りました。
「プリンス・オブ・ウェールズ」の沈没時、
日本海軍攻撃機は乗組員の救助活動を妨害しなかったので多くの乗組員が救助され、
そのなかにブラッキーも入ることができました。
その後、ブラッキーはシンガポールに上陸したものの、
1942年2月の日本軍によるシンガポール攻略戦の混乱で行方不明になります。
OscarまたはSam オスカー、またはサム。
世界一有名な船の猫、オスカー、またの名をサム。
「浮沈のサム」と呼ばれ、3度の沈没を生き抜いた猫。
この話は長くなりますのでまた別の記事で。
今日のヒメちー
ヒメちー、世界の船で活躍する猫の話、どうだった?
猫が昔から活躍してきたのはいいとして…
納得がいきません。
ヒメは船に乗るより、箱の中がいいです。
ヒメちーはお風呂嫌いだものね。
でも海を泳ぐわけじゃなくって、船に乗るだけだから…。
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